2009 歩こう会 上高地 のご報告

 

穂高・上高地を行く 68会歩こう会) 報告    2009年6月9日〜10日    (鈴木 洋 記)       

穂高、上高地・・・口にしただけで、胸の中に甘酸っぱいような、なつかしい想いがこみあげて来る。この気持ちは山男だけのものではないはずだ。その穂高と上高地が2009年の「歩こう会」の舞台だ。6月9日 梅雨入り前の薄曇の新潟駅南口を朝6時30分13人で貸切バスで出発。松本で高速道を降り新穂高温泉へ。谷川沿いを徐々に標高をあげて行く車窓からは、まだ新緑の柔らかさを残している木々の若葉が眼に快い。「この新緑を観ていると神々しい程だナァ」日頃の言動からは思いもよらない悟りすましたような声があがる。それに呼応して「あらたふと青葉若葉の日の光・・芭蕉が奥の細道で詠んだ心境もそんな感慨からなんだろうナァ」などと声が続く。この歳まで生きてきた各々の山あり谷ありの人生の陰影が伝わってくる会話が車中に飛び交う。新穂高温泉駅から二つのロープウェイを乗り継いで一挙に2,156mの高みに立つ。展望台からは北アルプスの槍、穂高、焼岳の雄大な峰々を存分に眺めることが出来た。この観望と山稜の間に、どれだけ多くの人達の喜びと汗と涙がながされたのか・・・などという感慨がふと頭をよぎる。足元を観ると残雪の間にキヌガサ草の白い大輪の花、エンレイ草、舞鶴草など季節の花々。そこから残雪の登山道に入り西穂山荘を経て丸山(2,452m)まで登る。北アルプスの山巓達は一段とくっきり指呼の間に迫ってくる。3時間弱の登山で汗を流して麓の新穂高温泉の「つくしんぼ」に投宿。宿の住所は高山市奥飛騨温泉で我々と同世代のおかみさん夫妻のひなびたもてなしが心にしみる。飛騨牛のステーキを堪能し翌日の行程に備えた。

翌朝には宿の近辺から槍ヶ岳の屹立した山容がさらにくっきりと望まれ、今回の山行きが一段と稔り多いものとなった。

車は前日の山道を曲折しながら大正池を経て上高地へ。今では大正池の象徴だった倒木もほとんど消えてしまったが、池越しに望む奥穂高は変わらない偉容で我々を迎えてくれた。7日にはウェストン祭が行われたばかりのウェストン碑に立ち寄り、河童橋を経て明神池をめざしスタート。奥穂高の真下を流れ下る清冽な梓川の左岸、右岸を3時間ほどかけて周遊。 道沿いには白い小梨の花 ラショウモンカズラの紫色の花が咲き乱れ、林床には紅花イチヤク草、野生ランのノビネチドリが散見された。平日にもかかわらずさすが天下の上高地、大勢のハイカーが行き交い、昔と変わらない賑わいを見せていた。明神池畔には人馴れした鴨、木道には猿の群れも出没し、まさに上高地は今も別天地そのものだった。帰りには沢渡の日帰り温泉で汗を流し「暮れゆくは白馬か、穂高は茜よ・・・」と山小屋の灯の一節を口ずさみながら帰途についた。山行きとハイキング、今回も絶妙の行程を組み合わされて実施された「歩こう会」。いつもながら森田、加藤(達)両君の行き届いたプラニングとアシスト。つくづく多士済々の68回の一員でいることの幸せを思う。帰りの車中では、早くも次回への期待が話題になる。今回残念ながら、いろいろな事情で参加できなかった人達とはまた一緒に歩きたいと思う。車が長野県から新潟県にさしかかるあたりで、その日 信越地方も梅雨入りした模様とラジオが伝えていた。

 
 

参加者: 飯利武志、岩原修爾、河西厚、加藤健一、加藤達雄、駒林進四郎、

     鈴木喜也、鈴木洋、藤崎昌彦、水本源弥、森田浩二、若林茂敬、若松昌弘 

   

   スナップ写真集